子供の体験談「根のない生」(T.S.)
日本禁酒同盟

私の母は温泉街で旅館を営む家に生まれました。母の父親、つまり私にとっての祖父は酒乱と女遊びの凄まじい人で、実質的に旅館のやりくりは、祖母の細腕一本にかかっていたようです。祖母が唯一ほっとできた場所は便所だけだったと、母はよく聞かされたそうです。
一方私の父は、比較的大きな農家の次男として生まれました。次男といっても父の母親は後妻であり、……敢えて父を可愛がることをしなかったようであり、父はそれが不満だったのか子供の頃からかなり乱暴ものだったようです。父方の祖父は、これまた大の酒好きで、毎日酔うと祖母につらく当たり、罵声をあびせていたといいます。そんな時、祖母は父の手を引いて夜道をあてもなく歩き、祖父の寝静まるのを待っていたそうです。
父と母は、子供の頃どんな目で自分の両親を見ていたのでしょう。それが私には手にとるように分かります。なぜなら、子供の頃の父と母は、私そのものだからです。酒乱の父親をどんなにか恐れ、憎んだことでしょう。子供の頃の父が、まさかその父親と同じ轍を踏んで自分が酒に溺れるとは夢のも思わなかったはずです。そして母も自分が酒乱の夫を選ぶとは決して思わなかったはずです。しかし、そんな二人がやがて恋愛をし、結婚して、自分が育った家庭環境と全く同じものをつくりあげて、私という複製を育てたのです。自然といえばこれほど自然なことはありません。両親は、環境から学習した通りに生きたに違いないのです。例えそれが不幸な環境で、そこから逃れようとする思いが強かったにしても、それ以上にその環境を無意識のうちに模倣する強い力がはたらいていたのです。まるで、だれよりも強く酒をやめようと思いながら、酒に引き込まれていくアルコール依存症の病態と似ています。
アルコール依存症という病気の主役は、アルコールつまり酒であるかのように思われがちです。特に患者本人やその家族は、酒さえなければこんな辛い目にあわなくてすむと思うことがしばしばです。しかし病気の本当の主役が、酒や依存症患者ではないとしたら……。それは、実に厄介な話しです。敵はなるべく具体的で目に見えるものであってほしい。私にとっては、酒乱の父が悪の権化であり、それを責めることが正義なのです。これは被害者を自称するものにとって実に都合のよい単純な構図です。父は父で加害者が自分であることをいやがうえにも押し付けられ、この単純な構図で家族関係がかたく固められていきます。当然のことながら、その家族関係の基礎をたどって行けば、父と母の夫婦関係と、私との親子関係があり、父と母はそれぞれに生まれ育った家庭での家族関係を引きずっていることになります。
アルコール依存症という病気を知るのをきっかけに、私は、ことあるごとに父と母からその生い立ちについての話を聞くようになりました。それを繰り返し聞いているうちにこの病気の本当の主役が「関係」そのものだということが実感できるようになりました。「関係」という病巣は、酒や依存症患者を隠れみのにして増殖していく、そんな気がしてなりません。酒や依存症患者をモグラたたきにする一方で、酒や依存症患者は共同戦線でそれに反撃する。この構図そのものが病気だとは夢にも思わない家族。この病気の本当の恐ろしさはこんなところにあるのかも知れません。
酒癖の悪い肉親を思い余って殺してしまうというニュースを聞く度に、やりきれない無力感におそわれます。関係の病もまた、死に至る病であることに変わりありません。しかし、癌などとは違い、決して不治の病ではありません。父がそうであったように、母がそうであったように、私もまた生活環境に影響されやすい性質を持っています。だれでもある程度生活環境に影響されるのは、当然のことです。しかしそれが過敏になると、環境に飲み込まれて、生きている主体としての自分を見失ってしまいます。生活環境とは、家庭でいえば家族関係に他なりません。「関係」は本来、主体的に築いていくものであるにもかかわらず、「関係」に人間のほうが翻弄されてしまう。悲しくて弱いそんな自分に気付いたらしめたものです。翻弄されてしまう存在としての自分を認めることは簡単なことではありませんが、「さあー! これが私のありのままの姿だ」という思いで開き直り、天に向かって手を広げてみるとき、今まで縛られていた何かから解放されるような気がするのです。私が最も苦手とする自分を包容する力は、そこから少しづつ生まれてくるのかも知れません。それが生まれてくれば、この病気は決して恐ろしい病気ではなくなると思うのです。
財団法人 日本禁酒同盟
Japan Temperance Union